南加福岡県人会

福岡県人会の生い立ちと現在

南加福岡県人会 100周年

南加福岡県人会の生い立ちと現在

南加福岡県人会の生い立ちと現在 1908年4月3日、ロサンゼルス市在住の福岡県出身者30数名により創立総会を開き、初代会長に堀愛次郎、副会長に白木原寿美男、会計波多江昇一、吉丸条吉、幹事行徳新造諸氏を選出し南加福岡県人会が発足した。

同年4月25日帝国練習艦隊阿蘇、宗谷の両艦がサンペドロ港に入港し、在留同胞により盛大な歓迎ピクニックが2日間にわたってイーストレーク公園で催行されたのを機に、同27日福岡県出身乗組将兵20数名を八重園亭に招待し県人会創立の祝賀会を催した。

交通不便な遠方、地方よりも80名の出席者があり、当時としては極めて盛大な同郷人最初の集会であった。

以来、南加州一円在留福岡県人会の社交、親睦機関として後日の発展の基礎が開かれた。 1932年にはロサンゼルスにてオピンピックが開催された際、福山敬吉氏を編集主幹として140ページの最初の会員名簿が作成された。総数470家族であった。 1940年には750家族が収録された。 1941年不幸にして日米開戦により日本人の活動は制限され県人会活動も活動停止の止む無きに至った。

そして750家族は各地の収容所に転居させられ会員も四散してしまった。 1947年には戦後、各収用所からロサンゼルスに帰還していた有志が呼応して県人会再建が協議された。

しかし当時の戦後事情から福岡県人会では無く名称も福岡県クラブとして再発足した。 1949年、再度南加福岡県人会と名称を冠し新規約などを整備、戦後の再出発の基礎を作った。

同会の主な行事は福岡県人間の社交を中心とし、定期総会、親睦会、夏のピクニック、秋の敬老会、先没者追悼法要、慰霊祭を年中行事の中心として開催、会の維持は各催しを通して寄付された芳志を元に運営された。

当時から各県人の芳志は県人会運営の重要な資金源であった。 当時より、福岡県当局を初め、政治家、学者、学生、商業家、農業実習生、短農その他訪米者のお世話をした。

又、福岡県の天災、事故などに際しては県人会有志からの寄付により見舞いを送ってきた。 1983年には南加福岡県人会発足75周年記念行事を行い、ボナベンチャー・ホテルにて盛大な祝賀会を開催した。 戦後移民が漸減傾向にある中、福岡県人会もその例に漏れず同様に推移している。県に依っては3世、4世の時代の会員で会の主な運営を行っている県人会もある。

現在、福岡県人会は日本とのコミュニケーションを円滑にし、且つ3世、4世の世代に日本を的確に伝える為、帰米、新一世を中心に運営しているが次世代への漸次継承は最重要目標として捉えている。 県人会は2008年に創立100周年を迎えるが、この100周年近い年月、県人会が継続運営できた事は一重に県人の飽く事なき同郷、同胞思いがこの永年にわたる運営が継続された根幹であると思う。

熱き福岡県人は今後も日本一の故郷福岡の錦の御旗の下、今後も相互互助の精神で助け合って発展を続けたいと願う次第である。 その活動基盤を支えてくれているのは母県福岡県からの絶えることの無いご支援である。県人子弟に対する留学制度、子弟の受け入れ、活動資金援助、福岡県の支援には会員一同心から感謝している次第である。

今後は如何に県にお返しが出来るか、可能な限りのお手伝いをしたいと思っている。 今も、すばらしい若い会員が熱き郷土愛で活発に各種活動を行っている。

是非、新しい会員と出会いたいと願っている次第。

ご連絡を待っています。

会長挨拶

南加福岡県人会 69代会長 山田 哲義 氏

歴代会長

初代 堀 愛次郎 35代 阿世賀 竹太郎
2代 白木屋 寿美夫 36代 山崎 平七
3代 三坂 鉄五郎 37代 大籠 雪渓
4代 堀 愛次郎 38代 井上 徳八
5代 立花 大連 39代 進藤 文助
6代 船津 徳太郎 40代 宝崎 久治
7代 小長 光源蔵 41代 弓削 潜吉
8代 赤司 郁 42代 栗山 孫吉
9代 波多江 昇 43代 泰 喜久郎
10代 平塚 増男 44代 大庭 七郎
11代 奈倉 四郎 45代 稲富 嘉一郎
12代 吉丸 久米吉 46代 神武 政次郎
13代 井上 又吉 47代 森 和夫
14代 高田 徳次郎 48代 田中 満義
15代 加来 勇太郎 49代 田中 春吉
16代 福山 敬吉 50代 阿部 新三郎
17代 岡 幹平 51代 小屋松 進
18代 和田 百太郎 52代 稲富 熊之助
19代 中村 清 53代 保坂 信重
20代 満生 正誼 54代 林 富雄
21代 土師 庫刀 55代 土斐崎 城次
22代 合屋 専一 56代 山本 輝志
23代 尾座本 富之助 57代 弓削 勘次
24代 高田 徳次郎 58代 川口 次雄
25代 安永 種雄 59代 赤司 一男
26代 秋山 亀太郎 60代 熊谷 辰巳
27代 川口 金蔵 61代 内山 勉
28代 広畑 弘 62代 柳瀬 友一
29代 多田 政雄 63代 大谷 明義
30代 加藤 誠 64代 北原 宏範
31代 保坂 広治 65代 竹内 徳康
32代 片山 豊三郎 66代 井上 英一
33代 藤野 小平太 67代 田島 喜八郎
34代 北原 敬弘 68代 稲永 康之

創立100周年記念行事の日程(2008年)

日時 時間 行事予定
2008年9月5日(金) 16:00 記念講演会
2008年9月6日(土) 11:00〜17:00 福岡県人会先亡者追悼法要
レセプション「Nikkei Fukuokan Night」
2008年9月7日(日) 11:00 記念式典・祝賀会

▸ 祝賀会参加申込用紙

南加福岡県人会 100年の歴史

年代 日系社会 南加福岡県人会
1908年   4月3日 ロサンゼルス市在住の福岡県出身者30数名により創立総会を開き、南加福岡県人会が発足した。
1913年 外国人土地法(*1)  
1914年 第一次世界大戦  
1922年 ケーブル法制定(*2)  
1924年 移民法制定―新規日本人移民の入国を全面的に禁じた。  
1932年 ロサンゼルスにてオピンピックが開催 140ページの最初の会員名簿が作成された。総数470家族であった。
1937年 日米通商航海条約破  
1940年   750家族が会員名簿に収録された。
1941年 第二次世界大戦
在米日本資産凍結
日本人の活動は制限され県人会活動も活動停止の止む無きに至った。そして750家族は各地の収用所に転居させられ会員も四散してしまった。
1942年 2月8日、ルーズベルト大統領の大統領令9066(*3)により、日本人移民をキャンプに収容する。  
1943年 2月1日、全日系人の第442戦闘部隊が作られる。  
1947年 特別法により日本人「戦争花嫁」の合衆国入国が許された。 戦後、各収用所からロサンゼルスに帰還していた有志が呼応して県人会再建が協議された。しかし当時の戦後事情から福岡県人会では無く名称も福岡県クラブとして再発足した。
1949年   再度南加福岡県人会と名称を冠し新規約などを整備、戦後の再出発の基礎を作った。同会の主な行事は福岡県人間の社交を中心とし、定期総会、親睦会、夏のピクニック、秋の敬老会、先没者追悼法要、慰霊祭を年中行事の中心として開催、会の維持は各催しを通して寄付された芳志を元に運営された。当時から各県人の芳志は県人会運営の重要な資金源であった。
1951年 サンフランシスコ講和条約。連合国の日本占領が終わった。  
1952年   年間185人の日本人移民入国を認めた
1958年   婦人会発足
1965年 新移民法を制定した。  
1973年   釣りクラブ発足
青壮年会発足
1974年   ゴルフクラブ発足
1975年   南加福岡県人奨学資金制度発足
1978年   カラオケクラブ発足
1987年   ゲートボールクラブ発足
2006年   太鼓倶楽部 鼓玄會発足
  • *1 外国人土地法
    1913年8月10日から施行される。この法は「帰化不能外国人」(つまり日本人を含むアジア系移民)の土地所有を禁じた

  • *2 ケーブル法
    1922年(大正11年)、白人と非白人との通婚を抑制するための法律 “The Cable Act”が成立し、アメリカ市民が非アメリカ市民と結婚した時は、アメリカ市民は自動的に市民権を失う旨を規定した。白人の場合は、離婚または死別により婚姻が解消すると市民権を回復できたが、非白人の場合は、婚姻が解消しても(帰化に不適格な人種という理由で)市民権を回復できなかった。

  • *3 大統領行政命令9066号
    1942年2月19日-裁判や公聴会なしに、特定地域から住民を排除する権限を陸軍にあたえる。
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